見所:
女王卑弥呼が都した邪馬台国に到る―
本書の特徴は、著者が、魏使に成り代わって、その視線で『魏志』「倭人伝」を繰り返し読むことから
生まれている。邪馬台国までの方向と里程とを記した叙述を考えるに当たっては、魏使が立ち寄った壱岐
を起点に、任那・帯方郡・一岐・末廬国・伊都国・邪馬台国を比定している。この意識操作によって、
・一岐・末廬国・伊都国・邪馬台国が見事に浮かび上がる。
書評:読書お宅 :
女王卑弥呼が都した邪馬台国に到る―繰り返し読むことの効果ー
繰り返し考えることには意外に深い長所がある。繰り返し考えるには繰り返し読まねばならず、繰り返し
読むには、繰り返し言葉を咀嚼しなければならない。言葉を咀嚼することで初めて含蓄や蘊蓄に出会う
からである。その含蓄や蘊蓄に出会ったときに、初めて古文書が生き生きと語り始める。その含蓄や蘊蓄
は誰もが出会うものではなく、一朝一夕で出会うものでもない。その上、古文書との相性まである。
この著者の著作を読むとこの著者は大変幸運な人であるらしい。元来、読むことと書くことの間には大
きな階梯がある。言葉は、読み取ったものを書き写すには、実に不便なツールで、分かったつもりで分から
ないことは余りに多い。書かれた状況や具体像が読解できないからである。そしてその状況や具体像に向か
って読者を導くものが、古文書が持つ含蓄や蘊蓄であるらしい。
『魏志』「倭人伝」が書かれた状況や具体像と筆者の読解との落差を埋めなければ、任那・帯方郡・一岐
・末廬国・伊都国・邪馬台国は浮かび上がって来ない。古文書を読む愉悦は、その落差から生み出されるが、
その古文書の「妙」を掴むこと、筆者は、堅実に写真と絵を使って、書くことと読むこととを隔てる大きな
階梯を越えようとしている。それも驚くほど巧みにである。
|